2009.4.26

説教題「新しい命を受けて」 マタイによる福音書12:38-42

イエスは、「しるし」なしでは信じられないと、「しるし」を否定していません。しかし、「預言者ヨナのしるし」だけが「しるし」として与えられている。私たちが信じることが出来るために神が与えてくださる「しるし」は、ヨナの「しるし」だけであると言います。ヨナは、大魚の腹の中から生き戻され、神の召命に応えました。ヨナが三日三晩、大魚の中に閉じ込められて、吐き出されて、ニネベの海岸に打ち上げられ、悔い改めの言葉を語りました。それは、主イエスが十字架で死んだ後、三日目によみがえらされたことのしるしです。大魚の腹の中から奇跡的に生還したヨナ、ニネベの人々の悔い改めは、主イエスの苦難と死に勝利し、永遠の命を獲得されたことを指し示しています。私たちの救いのしるしです。

2009.4.19

説教題「キリストの顕現」 ヨハネによる福音書21:1-14

弟子たちはガリラヤ湖に舟を出して、1晩中漁をしましたが、雑魚1匹も取れませんでした。失望落胆し重い足を引きずるように岸辺に帰ってきました。その岸辺に立つ主が、舟の右側に網を降ろしなさいと命じました。弟子たちが網を降ろすと、引き上げることが出来ないほどの大漁の魚が獲れました。その時、岸辺に立つイエスを最初の発見したのが、「イエスが愛された弟子」と言われるヨハネであったということは、主の御旨があります。愛される者は愛する者を知る。愛されていることを自覚すればするほど、自分を愛しくれる方を深く知ることが出来る。この事実をヨハネとイエスとの間において明らかにしています。主イエスをより深く知るためには、主イエスの愛の中にある自分を知ることです。イエスの愛のただ中に置かれている自分を受け入れることです。又、ヨハネが「主です」と同僚のペテロに知らせたことも大事なことです。主イエスの愛を知った人は、愛の主を他の人々に宣べ伝えずにはいられなくなります。パウロも「福音を知らせずにはいられないのです」(コリントⅠ9:16)。主のために心を燃やす恵みに満ちあふれさせてくれます。

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