2009. 10. 25

説教題「神の導きに感謝する」  
ルカによる福音書19:4-6

「主イエスは五つのパンと2匹の魚をとり、天を仰いで賛美の祈りをささげ、パンと魚を裂いて弟子たちに渡して、皆に配らせました。すると、そこにいた全ての人々が食べて満腹した」。パンと魚を共に食べることによって、主イエスと共にいる恵みと喜びを体験させました。パンを食べることによって主と共になる、神の子として受け入れてくださることを信じることが出来ました。その後、教会ではこの主の愛餐が最も大事なこととして、守られてきました。今日の教会でも形式は異なりますが、主が共にいる象徴として継承されています。洗礼を受けている人も受けていない人も、等しく与ることが出来ます。子どもたちも皆、主に招かれていることを受け入れて、主の愛餐に与ってください。主の愛餐があなた方の霊の糧になりますように。“感謝の祈り” 神様、今私たちは、子どもたちと大人とが一緒になって主の愛餐に与ることが出来ますことを感謝します。さまざまなちがいを越えて、ここに集まっている私たち皆を主イエスによる一つの交わりの中においてください。子どもたちも私たちも共に主を讃える者にしてください。祈りに合わせてください。


2009. 10. 11

説教題「信仰による生涯」  
創世記49:29-33 / ルカによる福音書13:10-17

NHKの教育テレビ「知る楽」で作家の片山恭一さんが、哲学者の森有正を紹介していました。森有正の父は森明、祖父は森有礼です。森有礼は、明が14歳の時、右翼によって暗殺されました。明は持病の喘息で通学が出来ず、退学し自宅に引き籠もっていました。今の言葉で言えば不登校生です。明は落ち込み、劣等感に苦しんでいました。その時、青山学院で教鞭を執っていた英国人のフランク・ミュラーが、明を家族の一員として自宅に迎え入れました。フランク・ミュラーは、明の能力や学力を見るのではなく、明の存在そのものを認め受け入れているのです。パウロがフェリスク総督の前で、「正しい者も正しくない者もやがて復活する希望を、神に対して抱いています」(使徒24:15)と証言しているように、神は人の才能とか、力とかに関係なく、在りのままを受け入れてくれます。人が後で得たものには一切目をくれず、ひたすら存在自体に目を注ぎます。明は英国人フランク・ミュラーの信仰に救われるのでした。パウロは「彼らの中に不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか。決してそうではない」と語って、神の恵みは人間の如何に関わりがない、否それを遙かに上回るものであると言います。神の恵みにのみ目を注いでいきたいものです。

2009. 10. 4 教会全体修養会 講師:沼田尚美先生

説教題「共に支え共に生きる」  
マタイによる福音書28:20b

★沼野尚美先生の著書「共に生きる」から

「人生のなかで、私たちは多くのストレスを抱えています。人間関係のストレス、病気になるストレス、仕事上のストレス、大切な人を失うストレスなど、さまざまなストレスと向き合わなければなりません。「なぜ私がこんな思いをしなければならないのか」と問いかけたくなるとき、私たちは自分の人生に怒りをもちます。納得できない悲しみ苦しみ、淋しさをもつとき、この怒りには大きな力がこもります。では、この力とどのように関わったらいいのでしょうか。ストレスを抱えることによって生じる怒りを小さくするために、どのような生き方があるのでしょうか。人生には、一人で耐えられないような苦しみがたくさんあります。しかし、共に生きてくださるよき援助者が側にいるならば、力のこもった怒りを小さくすることができるのです。ですから、ストレスの多いこの世の中にあって深い心の傷を負うことがあったとしても、癒される可能性を信じて、他者に援助を求めましょう。そして、やがて力を得たとき、今度は良き援助者として傷ついている人と共に生きる道を歩みましょう。」



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