2010. 4. 25

説教題「キリストの教え」 
レビ記19:17-18 / ヨハネによる福音書13:31-35

*「あなたがたの新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)

*「愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことのある言葉です。しかし、わたしは新しい掟を書いています。」(ヨハネⅠ2:7-8a)

 ここでイエスが教えられた「新しい」掟とは?「新しい」というギリシャ語には、ネオスとカイノスとの二語があります。「ネオス」は年代的な新しさを、もう一つの「カイノス」は、質的・内実的な新しさを意味します。言い換えれば,キリストに繋がる新しさ、質的に新しさです。「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。」(ヨハネⅠ3:16)。自ら弟子たちの足を洗い、自らを十字架にささげたイエスに繋がるところから生まれる愛に基づく掟です。イエスの愛から生まれる愛に生きる新しい掟です。私たちを永遠の命に導く掟、命令です。その新しい言葉に従っていきたいと思います。


2010. 4. 18

説教題「キリストは良い羊飼い」 
エゼキエル34:1-8、23 / ヨハネによる福音書10:10b-18

*「わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。」(エゼキエル34:23)

*「わたしは良い羊飼いである。わたしは羊を知っており、羊もわたしを知っている。」 (ヨハネ福音書10:14)

 ここで「知る」(ギノスケイン)は、外面的・形式的に知るのではなく、内的・全人的に知ることです。パウロは「今は神を知っている、いや、むしろ神から知られている」(ガラテヤ4:9)と言っているように、神を知ることはまた神に知られることです。イエスを知ることによって、イエスに知られることを意味します。「知る・ギノスケイン」は「愛する、承認する」という意味もあります。愛の神に知られている、受け入れられている、認められている。もしも誰も知ってくれる人、理解してくれる人、分かってくれる人がいなくても、キリストは理解し、分かってくださいます。キリストは究極的な理解者です。キリストによって孤独や空虚を癒されていきましょう。

2010. 4. 11

説教題「信じる恵み」
民数記13:30-33  / ヨハネによる福音書6:5-11

*「我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない。」(民数記13:33b)

*「わたしの目にはあなたは価高く、貴い」(イザヤ43:4a)

*「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。」(ヨハネⅠ5:4-5)

 10人の斥候は、「いや、あの民に向かって上っていくのは不可能だ。彼らは我々よりも強い。我々はいなごのように見えた」と悲観的な報告をしています。それに対してカレブとヨシュアは「断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます」と民を静めて報告をしました。この相違は何を意味するでしょうか。同じものを見たのに・・・10人の斥候は、ネフィリム・巨人たちと自分を比較しています。しかし、ヨシュアとカレブは巨人たちと神とを比較しています。わたし自身と相手を比べた時に生じる恐れを、神との比較によって打開し、前進したのです。

2010. 4. 4 ◆復活日(イースター)礼拝  

説教題「新しいいのちに生きる」 
ルカによる福音書24:13-32

 主の復活を記念して礼拝を献げます。「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与えてくださった。」(ペトロⅠ1:3)主の復活によって与えられた恵みに感謝し、御名を讃えましょう。

CIMG0478.JPGCIMG0477.JPG