2010. 5. 30

説教題「寄り添う神」
出エジプト記13:17-22 / エフェソの信徒への手紙4:21-24

 ヨセフが「神は必ずあなたたちを顧みてくださる」と言い残した通りに、彼らは主の御手によってエジプトから連れ出された。神はイスラエルの民を地中海沿いの「近道であるペリシテ人の道に導かず、」「葦の海に沿う荒れ野の道に導いた。」神は、近道ではなく、わざわざ回り道を導きます。なぜ回り道に導くのかといぶかる人は、そこに神の御旨があると、信じてください。荒れ野の道は、厳しい道ですが、多くの学ぶべきことがあり、信仰と忍耐は、骨の折れる回り道によって成長させられます。神は私たちを、全く不可能と思われるようなところへ導きます。それは、私たちが窮地に立たされたとき、神が共にいて働いてくださることを確信するためです。パウロは「それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました」と言っています(コリントⅡ1:9)。

2010. 5. 23

説教題「立ち上がる時」
エゼキエル書37:1-14 / 使徒言行録1:7-8

*「見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。」(エゼキエル37:4)

 主の霊によって、エゼキエルは谷間に散らばっていた多くの枯れた骨を見ました。主はエゼキエルに問われました。「これらは生き返ることが出来るか」と。エゼキエルは答えました、「主よ。あなたがご存知です」と。枯れた骨に生き返る力がないことは明かです。主は敢えて問われました。「見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る」と言われると、とどろきの音と共に、骨はつながり筋がつき、肉が生じ皮膚が覆いました。しかし、霊はありませんでした。主は霊に預言せよと命じられます。「霊よ、四方から吹き来たれ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る」と。霊が彼らの中に入ると、彼らは生き返った。それは非常に多くの集団であったと言います。生きていく上でなくてはならない希望がどこにあるかを示されています。神の希望を見出していきたいものです。

2010. 5. 16

説教題「新しく造られた者」
ダニエル書7:13-14 / マルコによる福音書16:14-20

*「イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい』」(マルコ16:15)
*「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まる」(ローマ10:17)
*「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そして、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように」(エフェソ3:18、19)。
 復活の主の使信は、「全世界に出て行きなさい」でした。復活の主の出会うまで、そして、復活の主を信じ受け入れるまで、弟子たちは、恐れて戸を閉じていました。イエスの弟子たちと見られ、十字架に追いやられるのが怖かったのです。この恐れの気持ちが、自分を閉じこもり、自閉の姿に追いやられたのです。復活の主が彼らの中に立った時、それとは全く別の次元の現実が示されたのです。「神が共にいます」という現実です。何も恐れなくてもよい世界を示されたのです。古い人を脱ぎ捨て、新しく造られたのでした。

2010. 5. 9

説教題「時が来た」
創世記18:23-33 / ヨハネによる福音書16:20-24

*「あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」(ヨハネ福音書16:20)

*「今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。」(ヨハネ福音書16:22) 

「その悲しみは喜びに変わる。」この「変わる」はギリシャ語で「ギノマイ」と言い、本来は「なる・become」です。「万物は言(ロゴス)によって成った。成ったもので、言によらず成ったものは何一つもなかった。」(ヨハネ福音書1:3)悲しみは喜びに造り変えられていく。悲しみが簡単に、あっという間に喜びに変えられるのではなく、長い時間がかかって、神の御業によって変えられていく。目に見えませんが、見えない神の創造の力によって創造されていく。私たち一人一人の中に、神の創造の御手が働いている、その真実を信じていきたいと思います。

2010. 5. 2

説教題「キリストに繋がって」
出エジプト記19:1-6 / ヨハネによる福音書15:1-5

CIMG0478.JPGCIMG0477.JPG