2010. 6. 27

説教題「なにものにもまさる恵み」
詩編84:1-13 / マタイによる福音書6:31-34

*「主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。」(詩編84:3)

*「いかに幸いなことでしょう。あなたの家に住むことができるなら、まして、あなたを賛美することができるなら。」(詩編84:5)

*「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(フィリピ3:13)

 詩編84篇の著者は巡礼者だと言われます。巡礼の旅は、何度も何度も、その道中の困難が克服されなければなりません。神はその都度、力を与えて、彼らを励まし、ついに御自身のみもとに引き寄せてくださったのです。それは神を信じる者の人生そのものであると言えます。幸いな人とは、まず人生の力の出所を、自分の才能や持ち物にではなく、主なる神におくことができる。あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みですと言える人です。そのような人にとって、主は太陽、盾になり、神の恵みと栄光が授けられます。

2010. 6. 20

説教題「あなたを待ち望みます」
詩編39:1-14 / コリントの信徒への手紙Ⅰ15:57-58

*「主よ、それなら、何に望みをかけたらよいのでしょう。わたしはあなたを待ち望みます。」(詩編39:8)

 40年も前のことになりますが、当時、日本基督教団の総会議長であった鈴木正久牧師が肝臓癌で亡くなれた。その3週間前、癌であるあることが告知された。その時の思いを先生は、「『明日』というものを前提として『きょう』という日があったのに、その『明日』がなくなると、『きょう』もなくなってしまい、暗い気持ちなった」と告白しています。その中で先生は、パウロが自分の死を前にして、死のかなたにある「キリストの日」に向かって非常な喜びにあふれて力強く歩んでいる様子に、大変励まされたと言います。パウロは、生涯の目標というものを自分の死の時とは考えていません。そうではなくて、それを超えてイエス・キリストに出会う日、キリストの日と述べている。パウロの言う明日は、本当に輝かしい明日です。その本当の明日というものがある時、きょうが今以上に生き生きとわたしの目の前にあらわれてきたと言われます。先生の死の床で語られたこの言葉は、「それなら、何に望みをかけたらよいのでしょう」という詩人の問いに通じていると思います。

2010. 6. 13

説教題「きみは だいじ」
ルカによる福音書19:1-5

*「神は、お造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1:31)

ここに出てくる「良し」という言葉は、ヘブル語で「トーブ」と言います。本来は「なんと素晴らしいと感動する心」を意味します。詩編34:9の「味わい、見よ、主の恵み深さを」の「恵み深さ」が「トーブ」です。ここで神様が「良し・トーブ」と語ったのは、「完璧、百点満点」という意味ではなく、神の心から喜びと感動を意味します。神様は、わたしたち一人一人をお造りなったとき、感動してくださったのです。

*「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。」(ルカ19:5-6) ザアカイは、徴税人の頭でした。徴税人は多くの人たちから嫌われ、軽蔑され、無視されていました。ザアカイ自身も自分を嫌悪し、劣等感に苦しんでいました。ザアカイは、その存在は社会から否定され、自分自身も否定していました。しかし、主イエスだけは、ザアカイに感動し、受け入れているのです。主イエスは皆の反対を押し切って、徴税人の頭であり続けているザアカイを、「きみが好きだ、きみは大事だ」と言ってくださるのです。

2010. 6. 6

説教題「神は共におられる」
歴代誌下15:1-8 / マルコによる福音書1:29-39

*「オデドの子アザルヤに神の霊が臨んだ。彼はアサの前に進み出て言った。『アサよ、すべてのユダとベニヤミンの人々よ、わたしに耳を傾けなさい。あなたたちが主と共にいるなら、主もあなたたちと共にいてくださる。もしあなたたちが主を求めるなら、主はあなたたちにご自分を示してくださる。しかし、もし主を捨てるなら、主もあなたたちを捨て去られる。長い間、イスラエルにはまことの神もなく、教える祭司もなく、律法もなかった。しかし彼らは、苦悩の中でイスラエルの神、主に立ち帰り、主を求めたので、主は彼らにご自分を示してくださった。』」(歴代誌下15:1-4)

*「神があらゆる苦悩をもって混乱させられたので、国と国、町と町が互いに破壊し合ったのだ。しかし、あなたたちは勇気を出しなさい。落胆してはならない。あなたたちの行いには、必ず報いがある』」(歴代誌下15:6-7)。

*「夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった」(マルコ1:32-34)。

CIMG0478.JPGCIMG0477.JPG