2010. 7.25

説教題「主の言葉は永遠」
イザヤ40:1-11 / ペトロの手紙Ⅰ1:22-25

*「肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ40:6-8)。この「肉なる者」は「弱る」「病める」「回復しがたい」「癒しがたい」という動詞からきた「人」という名詞です。従って人間の弱さを表します。今日は元気で大丈夫にしていても、明日がどうなるか分からない。草でも、花でも、秋になれば枯れてしまう。パレスチナでは、東の砂漠から熱風が吹いてくると、一瞬にして草木は枯れてしまう。しかし、神の言葉はとこしえに立ち上がる。この「立つ」は「立ち上がらせる」です。神は、バビロン補囚で徹底的に倒された人々を立ち上がらせられるのです。神の希望を見出していきましょう。

2010. 7.18

説教題「悲しんでいる人の幸い」
詩編56:1-9 / マタイによる福音書5:4

*「あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録に、それが載っているはずではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。」(詩編56:9)

この句は悲しみの原因について何も語っていません。それは、語る必要がないと考えているからです。真実の人生は必ず悲しみに出会うからです。人生は、不条理で悲しみが満ちているのです。「涙とともにパンを食せしことのなきもの、嘆きつつあかつきを待ちわびて、眠れぬ夜を過ごししことなきもの。君よ、かかるものは天の力を知らず。」(ゲーテ) この悲しみは結局「この世が神を失っていることに」由来すると言うのです。主イエスは、悲しんでいる人々は、幸いである.なぜなら、彼らは慰められるであろう」と(口語訳)。終末においてすべての悲しむものに慰めが与えられる。慰めは終末論的完成の総括である。パウロは「神は、わたしたちが苦しみや困難にあえいでいる時、すばらしい慰めを与えてくださる方です」と、慰めの言葉を語っています。

2010. 7. 11

説教題「生ける神の教会」 説教者:嶺重知 牧師
テモテへの手紙Ⅰ3:12-16

「奉仕者は一人の妻の夫で、子供たちと自分の家庭をよく治める人でなければなりません。というのも、奉仕者の仕事を立派に果たした人々は、良い地位を得、キリスト・イエスへの信仰によって大きな確信を得るようになるからです。わたしは、間もなくあなたのところへ行きたいと思いながら、この手紙を書いています。行くのが遅れる場合、神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたいのです。神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。信心の秘められた真理は確かに偉大です。すなわち、キリストは肉において現れ、“霊”において義とされ、天使たちに見られ、異邦人の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」テモテⅠ 3:12-16


2010. 7. 4

説教題「涙と共に種を蒔く」
詩編 126:1-6 / マタイによる福音書13:1-9

*「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種を袋に背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。」(詩編126:5-6)どのような労苦も必ず報われると。御言葉を信じ、従っていきましょう。

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