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2011.7.31

説教題「与えることについて」 林邦夫 牧師
ルカによる福音書7:36-50

2011.7.24 

説教題「時のある間に」 林邦夫 牧師
ヨハネによる福音書16:1-15 / ガラテヤ6:1-10

 蒔く場所の違いによって、当人の運命に決定的な違いが生じております。肉に蒔く者は肉から滅びを、霊に蒔く者は霊から永遠の命を刈り取ると。ここでの肉に蒔くとは自己中心的に生きることで、霊に蒔くとは愛をもって他者につかえること、刈り取るとは最後の審判を指しています。終末時において人々の運命が現在の生き方に応じて互いに正反対の方向に分かれるとパウロは訴えます。 ですから「たゆまず善を行いましょう」、他の人に対する善い行いを飽きずに励みましょうと力説します。「時のある間に」言い換えれば、終末がきてからでは遅いので、「私たちが時をもっている間に」「時が許されている間に」と。この「許された時」とは私たちが積極的に活用することが許されている神様からの贈り物であります。 とりわけ、キリストによる信仰という共通の絆によって結ばれた隣人に対して善を行うことの出来る、またとない機会が今私たちに「許されている時」の意味ではないでしょうか。

2011.7.17 

説教題「帰ってきたサマリア人」 林邦夫 牧師
ルカによる福音書17:11-19

 このひとりのサマリア人だけは、自分の体のきよめを祭司に確認してもらうよりも何よりも、すべてに先立ってしなければいけないことがあると思ったのです。それは神をほめたたえることであります。「大声で神を賛美しながら」この恵みにあふれ、賛美にあふれて主のもとに帰ってきたサマリア人に目をとめながら、主はこう言われました。「清くされたのは十人ではなかったのか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻ってきた者はいないのか。」それから主イエスはその人に、「立ちあがって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」このサマリア人は、主イエスのもとにとどまったのではなく、出て行きます。それからも沈黙を守ったわけではなく、その心の中には神をほめたたえる歌が響き続けたと思います。主は言われます。わたしの恵みはあなたにつきそって離れることがない。立って出て行きなさい。主の日ごとにここに集まり、私たちはこの種の言葉を聞き続けていきます。私たちは主の恵みを忘れることなく歩み続けて生きるのです。

2011.7.10 教会創立記念礼拝

説教題「労苦したことも」 橋本淳 先生
フィリピの信徒への手紙2:12-16


2011.7.3 

説教題「初めの一歩」 林邦夫 牧師
イザヤ書49:14-21 / 使徒言行録4:32-37

 私たちが「罪において一つ」であることを神のみ前に告白し、ざんげすること、まさしくこの悔い改めと赦しの宣言こそ、私たちが共に歩み出すための「初めの一歩」でなければならないと深く覚えさせられます。 ボンヘッファーは『交わりの生活』の「告白と聖餐」の項で以下のように記しています。 「あなたは罪人です。ほろぶべき大罪人です。さあ、あなたを愛しているあなたの神のもとへ、あなたがあるがままの罪人としておいでなさい。神はあるがままのあなたをのぞんでおられるのです。かみはあなたから、犠牲、行為といった何ものかをのぞみたまわず、あなただけをのぞんでおられるのです」 「聖晩餐の日は、キリスト教会にとってよろこびの日である。神と兄弟と和解させられた心をもって、教会は、イエス・キリストのからだと血との賜物をうけ、その賜物において、ゆるしと新しい生命と救いとを受ける。神と人との新しい交わりが、教会にさずけられる。要するに聖晩餐の交わりは、キリスト教会の交わりの完成である。教会の会員が主の食卓において、からだと血とにおいて一つにむすばれると同じように、彼らは、とこしえに、いっしょにいるであろう。ここで教会は目的を達したのである。」