CIMG0478.JPGCIMG0477.JPG

2011.8.28

説教題「主の来臨に備える」 林陽子 牧師
ルカによる福音書12:35-48

 私たちも心の最も奥深い部分で、最も研ぎ澄まされた感覚を持って、主の来臨の備えをなす忠実で賢く思慮深い者でありたいと願います。
 以下はキリストの再臨を確信した、内村鑑三の言葉です。「基督再臨とは万物の復興である。また聖徒の復活、正義の勝利にして最後の審判、そして神政の実現である。人類の希望を総括したもの、それが基督の再臨である。これを理解してすべてがわかる。再臨を信じて聖書がわかり、聖書がわかって神を解し、人生を解し、自己を解した。神は死の苦痛を除き、自分と天然とを永久に結び、贖われた身体をもって完成された天地に不朽の生命を受けるの希望を賜うた。」

2011.8.21

説教題「他者の回復」 林邦夫 牧師
ルカによる福音書10:25-37

「善いサマリア人のたとえ」では、強盗に襲われ、着物をはぎ取られ、傷を負わされ、半殺しにされて助けを求めている旅人のそばを三人の人が通りかかります。三人のうち、祭司とレビ人はその人を見ながら、道の向こう側を通り過ぎて行きます。ただサマリア人だけが、「その人を見て憐れに思い」、近寄って手当をし、家畜に乗せ、宿屋に連れて行き介抱します。 祭司もレビ人もこの人を見ました。けれども彼らはそばを通り過ぎます。ひとりサマリア人だけが「その人を見て憐れに思い」、その人に「近寄り」「かかわりあい」、「隣り人」となっていきます。 祭司やレビ人の眼には、その人は〈見えない人〉に留まりました。だからこそ彼らはそばを通り過ぎて行きます。その人が自分と同じように悩み、苦しむ人間として立ち現れてきたサマリア人にしてはじめて、今まで見えていなかった他者が、見えてきたのであります。
〈あなた〉の発見、〈他者〉の回復、それはまた〈自己〉の回復でもあったのであります。

2011.8.14

説教題「断固たる服従」 林邦夫 牧師
ルカによる福音書9:51-62

「断固たる服従」と申しますと、人間が断固として主イエスに従うことを第一とすると、そう読みとれそうです。けれども、ここでまず断固としておられるのは主イエスの方です。 二番目の男に対して、「わたしに従ってきなさい」(59節)と言われたとあります。これが鍵になる言葉です。わたしについて来なさい。主イエスの方が断固として服従を求めておられます。問題は、それに答えられるかということです。主の求めに対する答えとして、初めて私どもの側にも、わたしは断じて主イエスに従うという、断固たる決意が生まれてきます。 私たちが洗礼を受けるということ、これは私たちにとっていろいろな意味での変化を意味しますが、何よりもこれまでやったことのない生活をするということです。やったことのない生活とは何でしょうか。主に従うということです。これまでも、いろいろなものに従ってきたかもしれませんが、ここで断固として従うべき方を見いだしたということであります。


2011.8.7

説教題「心の中に平和の砦を」 林邦夫 牧師
ルカ7:36~50