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2014. 2. 23 降誕節第9主日礼拝

「いやすキリスト」  林陽子牧師
マルコによる福音書 4:1-9

 

2014. 2. 16 降誕節第8主日礼拝

「よい地にまかれた種」  林邦夫牧師
マルコによる福音書 4:1-9

 私たち一人びとりをかけがえのない存在として生かして下さる方は、どんな人生にも豊かに実を結ぶことを願っておられます。私たちは解決の道が見いだせないような問題にぶつかった時に、自分ひとりの力ではどうすることもできないという無力感にとらわれ、実を結ばない人生にむなしさを感じる時があります。
  しかし、たとえどんなに無力であっても、自分本位の豊かさや幸せだけを求めるのではなく、自分に与えられている賜物と人生を神と隣人のために献げて生きるときに、恵みにあふれた豊かな実を結ぶ人生が約束されているのではないでしょうか。主イエスは神の国のために生きる私たちを励まし、希望を与えるためにこのたとえ話を語られたのです。
  種蒔く人の譬えは、人々の拒絶を前にしてもひるむことなく、神への信頼にもとづく希望に生きる主イエスの姿を伝えています。主イエスは受難の苦しみの中でも神の国への希望を失わず、残していく弟子たちに対して、ご自身の死後、再臨と共に神の国が完成するまでに生起すべきことをすべて語り、その間の時を目を覚まし、苦難の時代の中でも主イエスの生きられたように生きることを通して福音を全世界に宣べ伝えることを切に求めておられるのではないでしょうか。
 

2014. 2. 9 降誕節第7主日礼拝・特別伝道礼拝

「神の前に豊かになる」  山内一郎先生
詩編 49:10-13 / ルカによる福音書 12:13-21

  

2014. 2. 2 降誕節第6主日礼拝

「神による新たな創造」  林邦夫牧師
マルコによる福音書 1:40-45

 あの重い皮膚病の人は自らもそう叫んで歩いていたように、触れることを禁じられていた存在であったことです。皮膚病にふれることは実際的にも危険を冒すことです。しかし、おそらくそれ以上に触れるということは、主イエスにとって、この人を徹底して受け止めるということを意味していたのではないでしょうか。癒しの力が入り込むのです。そしてそれは逆に、悪の力をいわば自分に全部吸収し尽くし、相手から奪い取ってしまうことを意味したのです。重い皮膚病の人と同じ苦しみを自らも引き受けることによってかえって癒すのです。同じ出来事を記すマタイ福音書は、それを締めくくるようにイザヤ書53章の言葉を引いて、その成就だと語っています。「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」と。