2009. 8. 30

説教題「終末的な希望」  
列王記上3:4-9 / コリントの信徒への手紙Ⅰ15:35-43

2009. 8. 23

説教題「いついかなる場合にも」  
ハバクク書3:17-19a / フィリピ4:10-13

ハバククは、「いちじく」「ぶどう」「オリーブ」「羊」「牛」など、全ての農作物と命あるもの全てが駄目になる。正に闇のような、光を全く見いだせない時代の到来を預言しています。この預言の葉池には,二つの出来事がります。ユダ王国のヨシヤ王の突然の戦死です。改革者、精神的支柱を突然失った。そこから起こる絶望感です。もう一つは新バビロニア帝国がエルサレムに侵攻し、神殿に放火し、エルサレムを崩壊し、重立った人々が、補囚として連行された事です。世の中は絶望的な状態にありました。しかし、預言者ハバククは「しかし、わたしは主によって喜び、わが救いの神のゆえに踊る。わたしの主なる神は、わが力。」と言っています。「わたしを救う神」「わたしに勝利をたまわる神」。絶望的な状況ですが、それを超越して生きることが許されると言うのです。世界強国バビロニアの猛威の中で、神は無力であるかのように見え増した。神に従う者も少数です。「しかし、神に従う人は信仰によって生きる」(2:4)。神に依り頼む者は、どのような状況の中におかれても、生きる力が与えられる。ハバククはその信仰的な事実を証しています。そのことを信じて歩んでいきましょう。

2009. 8. 16

説教題「苦難の共同体」  
エレミヤ書20:7-9 / 使徒言行録20:17-24

エレミヤは若くして預言者に召されました時、「わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから」と預言者になることを断っていますが、神は「若者に過ぎないと言ったならない。わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」と約束し、招きました。エレミヤは誠実な人間ですから、神の言葉を忠実に従いました。ところが、語った北からの災いが、長く間実現しませんでした。(40年後バビロン補囚で実現そました)。エレミヤは偽りの預言者と嘲笑され軽蔑されました。ある時には捕らえられ、エルサレムの門に拘留されました。親しい人たちも去って行きました。辛い目にあわせられました。エレミヤは二度と「主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい」と決心します。しかし、神の言葉は人間の中に押し込めておくことは出来ません。「主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がります」と。神の言葉は力です。彼らを恐れて、座り込んでしまう者を立ち上がらせます。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」という信仰を与えて、苦難に立ち向かわせます。そして、勝利を与えます。


2009. 8. 9

説教題「主から派遣されて」  
ヨナ3:1-5 / 使徒言行録9:26-31

神の召命を拒否して、神が示した道とは逆の方向に逃走するヨナ。あぁ、主よ、わたしは言葉の人ではありません、他の人を遣わしてくださいと逃げ惑うモーセ。ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんからと拒絶し続けるエレミヤ。このような人々が神の大切な言葉を伝える器として用いられるのです。誰もが、自分は神の言葉を伝えるのにふさわしくないと考えます。しかし、神はいにしえの時代より、ふさわしくないと思われる者を御自身の宣教の業へと招き、そして遣わします。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ、遣わそうとも、わたしが命じることをすべて語れ。恐れるな」「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしでる」。逃げ出したヨナが、劣等感に悩んでいるモーセが、人一倍臆病なエレミヤが、迫害者として恐れられていたパウロが、神の言葉を語り、教会を建て、神の愛をこの世界に告げ知らせてきたのです。そのような人々を用いるのは神御自身です。神の奇しき御業です。それを前進させるのは聖霊です。


2009. 8. 2

説教題「剣から鍬へ、槍から鎌へ」  
イザヤ書2:1-5 / マタイによる福音書5:9

今日の礼拝は世界の平和を祈る平和礼拝です。わたしたちは、恐れることなく、誰にはばかれることなく、神の義による平和を実現するように祈り求めたいと思います。平和を願い、平和のために祈りを共にしましょう。

礼拝メッセージは、こちらからお読みいただけます。

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