2009. 12. 27

説教題「別の道を通って」 
ダニエル書3:13-18 / マタイによる福音書2:7-12

「金の像を礼拝することを命じられたシャドラクらは「たとえそでなくても、王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決してしません」と拒みました。そのために三人は縛られたまま、燃えさかる炉に投げ込まれました。しかし、不思議なことですが、火の中を自由に歩き回る三人が見えるのです。この事実は何を伝えているでしょうか。それは、救い主・イエス・キリストの誕生の後、知らされる福音です。「まことに人間をこのように救われることできる神はほかにはない」と、あのアンテオコス・エピファネスが証言するのです。何事が起こっても揺るがない神の絶対肯定です。主イエスに出会った学者たちは、別の道、ヘロデ大王ではなく、神の国を目指して帰って行ったように、新しい歩みを始めましょう。

2009. 12. 20

説教題「キリストの誕生」 
ルカによる福音書2:8-20

「恐れるな。わたしは、民全体に与える大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方そこ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝かされている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」(ルカ2:10-12)。ここに告げられている救い主は、この世の中で最も貧しく低い人々に救いをもたらすメシアです。蔑まれていた人、見捨てられていた人々を救いあげる憐れみのメシアです。主イエス・キリストは罪深く、弱さを一杯抱えたわたしたちのために来てくださったのです。

2009. 12. 13

説教題「神の器」 
サムエル記上2:1-10 / ルカによる福音書1:46-55

旧約聖書のマグニフィカートともいわれるハンナの祈りです。美しく、力に満ちた讃美です。主なる神はどのような方であるか。この世の有様をひっくり返される方であると言います。「勇士の弓は折られるが、よろめく者は力を帯びる」と(:4)。勿論、革命を起こして上下を入れ替えると言うのではありません。よろめく者に目をとどめ、思いやるのです。「弱い者を塵の中から立ち上がらせ、貧しい者を芥の中から高く上げる」とあるように、神は弱い者、貧しい者にまなざしを注がれる。神は塵の中に崩折れている者を見ておられる。見ているだけでなく、立ち上がらせるのです。預言者イザヤは「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。わたしの目にはあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛している」と(43:4)。今の、そのままの姿で良いというのです。王子のように、王女のようにひとり一人を大切にしてくださる。人は他の何もでもない、主なる神の慈しみによって生きる。「人は力によって勝つのではない」(:9)。わたしたちは自分の力によって勝つのではなく、自分自身を主の御手に明け渡すことによって勝利を収めるのです。その事実をハンナは明らかにしています。

2009. 12. 6

説教題「神の約束」 
エレミヤ書36:1-8 / ローマの信徒への手紙10:14-17

ヨヤキムは、ヨシヤ王がエジプトの王フャラオ・ネコとの戦争で戦死すると、ネコによってユダの王とされます。エジプトの傀儡ですから、国民に重税を課して、エジプトに朝貢しなければなりませんでした。しかし、間もなく、バビロンのネブカドレツァルが、カルケムシュの戦いでエジプト軍を破り、当時の世界の覇権を握ります。今度はバビロンに忠誠を誓って朝貢していました。間もなくバビロニアの支配から免れようとして、朝貢を中止しました。ネブカドレツァルは直ちに軍を送って、エルサレムを包囲しました。エレミヤは、ある時はエジプトに、ある時はバビロニアに、揺れ動き、動揺するヨヤキムを厳しく諫めています。「信じなければ、あなたがたは確かにされない」と、主なる神を信じ、従ってくことを勧めるのでした。頑ななヨヤキムはエレミヤが邪魔になりました。彼の預言が邪魔でした。それゆえに神殿出入り禁止という仕方で預言者の口を封じたのです。しかし、それゆえにバルクという優秀な書記が登場し、彼によって巻物に記されたエレミヤの預言が、直接口頭で演説していたときよりもはるかに多くの人に届いたのです。神の不思議な導き、奇しき御業を見ることが出来ます。神の御力を信じていきましょう。

礼拝メッセージは、こちらからお読みいただけます。

CIMG0478.JPGCIMG0477.JPG