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2014. 4. 20 復活節第1主日礼拝

「キリストの復活」  林邦夫 牧師
マルコによる福音書 16:1-8

 瞬きの詩人と呼ばれた水野源三氏は、赤痢のために脳膜炎を起こして手足と言葉が不自由になり、地獄のような日々が始まりました。しかし、やがて信仰を与えられて洗礼を受け、さらに瞬きで合図して、素晴らしい詩を作るようになりました。「こんなに美しい朝に」という詩があります。
 空には 夜明けとともに 雲雀が鳴きだし
 野辺には つゆに濡れて すみれが咲き匂う
 こんな美しい朝に こんな美しい朝に 主イエス様は 墓の中から 出てこられたのだろう
イースターの朝の喜びが見事に表現されています。そこには長く重い十字架を背負い、苦しみを乗り越えてこられた水野さんの復活節の信仰が生き生きと感じられるのではないでしょうか。復活は死と滅びの世界から、永遠の命への確かな救いの出来事であります。

2014. 4. 13 復活前第1主日礼拝

「ゲッセマネの祈り」  林邦夫牧師
マルコによる福音書 14:32-42

 救いは十字架による以外にないと決意された主は、一人孤独な道を歩んで行かれました。しかし、それは同時に勝利の道でもありました。「しかし、わたしが願うことではなく御心に適うことが行われますように」と祈られた時、その勝利は明らかになったのです。神のみ心が行われます。それに主イエスも従順に従いゆきます。十字架で、死の力のもつサタンが勝利するのではありません。そのように見えるかも知れません。しかし、そうではないのです。サタンがイエスを死に渡し勝利するかに見える時、それと一つである神のみ心が成就し、死からその力が奪い取られるのです。大いなる逆転が起こります。「もうこれでいい」、それは古い世界へのキリストの決別の言葉でもありました。古い世界の支配の終わりを確認する言葉でありました。

2014. 4. 6 復活前第2主日礼拝

「十字架の勝利」  林邦夫牧師
マルコによる福音書 10:32-45

 ヤコブとヨハネは、主イエスに対する信頼をもって願いを述べましたけれども、この願いには、何かが足りなかったなどというものではありませんでした。主についての根本的な知識が欠けていたのです。
 十字架は自分を一番上におき、それを脅かす者を暴力をもって排除する罪を浮き彫りにしています。いつでも序列化された中で、自分の位置を確かめ、少しでも上へという限りない欲望は、私たちの「存在していること自体の価値」を見えなくしてしまいます。「すべての人の僕になりなさい」という主イエスの生き方、死に方は、そこからの解放の招きなのではないでしょうか。