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2014. 7. 27 聖霊降臨節第7主日礼拝

「宣教への派遣」  林 邦夫牧師
列王記上10:1-13 / テモテへの手紙一3:14-16

 テモテは祖母、母、孫と三代にわたって信仰が継承され、純真な信仰の持ち主でした。母親のエウニケはギリシャ人の夫と結婚しましたが、息子のテモテを幼い時から旧約聖書で熱心に教育をしました。テモテの名前の意味は「神を畏れ敬う者」というギリシャ人の名前です。母エウニケは後にユダヤ教からキリスト教に回心し、ユダヤ人キリスト者としてテモテを教育しました。エウニケは祖母ロイスによって信仰教育を受けました。   ―中略―
 信仰の継承と一口に言いましても、その背後には困難な時もありどれほどの祈りが捧げられたことでしょう。テモテの場合にも母の役割は最も大きいですが、祖母ロイスの役割も見逃すことはできないでしょう。母は忙しく信仰の旅路に疲れ果てることもあります。現在でも子育てや仕事にと忙しい父母世代は教会に足を運ぶことが困難なこともあります。けれども祖父母の生活はより静かです。その信仰にはより大きな安らぎと平和があります。祖父母は、人生経験が短く忙しい生活ゆえに父母が子に与え得ない何ものかを、子に与えることができます。祖父母は父母と子により高い神様の祝福を与えることができます。霊的な経験を豊かに持つ祖父母は豊かに父母と子に信仰の賜物を分け与えることができます。



2014. 7. 20 聖霊降臨節第7主日礼拝

「宣教への派遣」  林 邦夫牧師
マルコによる福音書8:14-21 / ガラテヤ書5:2-11

 わたしが二度もパンの奇跡をした時にあなたがたは一体そこで何を体験したのか、何を見たのか、何を聞いたのかと、主イエスはここで尋ねておられます。そして、そこでの私自身の姿が真実に見えない時、あなたがたもファリサイ人の仲間と同じではないか、外なる人と同じではないかと問われるのです。それは私たち自身への問いかけでもあります。私たちも弟子たちの如く目の前の現実に支配され、神さまの支配を見失ってしまうのです。目の前のことにすぐうろたえてしまうのです。その時に、主イエスは声をかけられました。「あなたがたの手で、わたしは5千人の人にパンを配らせたではないか。4千人にパンを配らせたではないか。二度までもあのパンの奇跡を行ったではないか。いずれもパンが残ったではないか。残されたパンをあなたがたは拾い集めたではないか。幾つものかごにあふれたではないか。その手ごたえを忘れたのか」と。
 弟子たちは忘れてはいなかったでしょう。しかし、一番肝心なこの時に、それをはっきりと思い起こさなかっただけのことです。
 今まさしくここで、神が生きておられるしるしとして、あのパンの奇跡を思い起こすことができなかったのです。今この場面で、主イエスご自身が、弟子たちの記憶を呼び覚ましておられます。そしてパンをめぐる思い煩いから解き放って下さるのです。


2014. 7. 13 聖霊降臨節第6主日礼拝

「宣教への派遣」  林 邦夫牧師
マルコによる福音書6:1-13

 主イエスが12弟子を選ばれたのは、宣教に派遣するためでした。そして、故郷ナザレで伝道に失敗した後、主イエスは弟子たちを宣教に遣わされたのです。多くの地方に出て行って、み言葉を伝えるという業は、主イエスの死後、初代教会において一生懸命なされましたが、その最初のものがここにあります。主イエスは後の教会の伝道活動のために、ここで弟子たちに実際にそれを行わさせたのかも知れません。
 彼らは二人ずつ組に分けられました。但し、誰と誰が組になったのかは分かりません。一気にできるだけ多くの地方に伝道したいのなら、一人ずつ遣わす方が効果が上がると思われます。しかし、旧約聖書の伝統において、証人は必ず二人必要でした。
 さてここで、主イエスは弟子たちを遣わすとき、彼らに「汚れた霊に対する権能を授けた」と言われています。「汚れた霊」というのは、悪霊と同じです。悪霊は、その最高の統率者であるサタンのもとに自らの国を形成している、と考えられていました。サタンの目的は、私たち人間を神から引き離すことです。従って、もしサタンに支配されるならば、神への信仰は成長しません。主イエスは人々に信仰が生じるように、まず弟子たちにその悪霊の力に対抗することのできる力を与えられた、というのです。

2014. 7. 6 教会創立122周年記念礼拝

「恐れることはない」  前島 宗甫 牧師
エフェソの信徒への手紙 6:10-20

《大阪城北教会の122年の歴史》
1893年(明治26年)日本福音教会 大阪四つ橋に講義所を開き、大阪伝道を開始する。
1896年(明治29年)井上文慈郎牧師 北講義所を開き、日本福音教会大阪福音教会を始める。
1926年(昭和元年)藤田昌直牧師大阪市内大仁本町に集会所を開設し、大阪城北教会とする。
1933年(昭和8年)熊谷政喜牧師 吹田市片山町で家庭集会を始める。
1936年(昭和11年)現在地に教会堂を建設する。
1939年(昭和14年)船本坂男牧師就任
1941年(昭和16年)国家宗教団体法によって、日本基督教団に合同する。
1945年(昭和20年)終戦 国家宗教団体法の廃止 大阪城北教会は教団に残る。
1950年(昭和25年)藤ヶ丘幼稚園開設
1970年(昭和45年)会堂建て替え、新会堂を献堂
1985年(昭和60年)3月船本坂男牧師隠退
1985年(昭和60年)4月大村清牧師就任
1990年(平成2年)小見のぞみキリスト教教育主事就任
1992年(平成4年)創立100周年の記念礼拝と式典を行う。礼拝堂の改装、集会室の建設。
2005年(平成17年)バリアフリー・トイレ、日本間、牧師館の建設。
2008年(平成20年)会堂、幼稚園舎の耐震補強・改修を行う。
2011年(平成23年)3月大村清牧師辞任・小見のぞみキリスト教教育主事辞任
2011年(平成23年)4月林邦夫牧師・林陽子牧師就任
2012年(平成24年) 創立120周年記念礼拝・講演会を行う。