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2014. 5. 11 復活節第4主日礼拝

「祈る母」  林邦夫牧師
サムエル記上 1:28-2:11

 信仰に立ってハンナが歌った歌が、2:1~10に記されているハンナの歌であります。サムエルを神に捧げるという決断が、イスラエルにとって大きな歴史的使命を果たしていく道筋を備えていくのです。ハンナの物語には、旧約聖書の実に大きな意味が込められています。このハンナの歌が、マリアの賛歌の原型となったということは広く知られているところであります。
 「祈る母」ハンナの姿から私たちは如何なる姿を教えられるのでしょうか。それは子どもを与えられた母親が、その子どもを神さまからの贈り物として、恵みの贈り物として受け取るということと繋がってくるのではないでしょうか。つまり、これは自分のものとして、自分のそばにおいて離さない子どもとしてではなく、神の与えてくださった恵みの賜物として、その子どもを受け取ることであります。
 ハンナは切なる願いの中で与えられた、その子サムエルをその手に握りしめようとはせず、神に捧げるということによって、イスラエルの転換期に指導者サムエルとしての道を備えてまいりました。ハンナの気づかずに果たした大きな役割を、私たちはここにはっきりと見出すことができるのであります。



2014. 5. 4 復活節第3主日礼拝

「まことの羊飼い」  林邦夫牧師
ヨハネによる福音書 10:2-18

良き羊飼いは、自らの生命を羊のために捧げるまで、狭い門を通るのです。そして、主イエスはこのようなまことの羊飼いとなるために、十字架にかかろうとしていることを明らかにされています。(17~18節参照)
冒頭で11節の「わたしは良い羊飼いである」という主イエスの言葉は、飼い主と家畜という「主従関係」ではなく、「良い羊飼い」と羊に見られる、まるで家族のような厚い信頼関係を語ろうとされていると述べました。私たちはここでの主の言葉に目をとめながら、そのように信頼できる関係が自分の身近にあるかどうか問うてみることが大切です。
そしてまた、逆に自分自身が具体的な誰かとの関係、つまり隣人にとって無条件に信頼される「良い羊飼い」であり得るかどうか問うてみましょう。
 主イエス、「まことの羊飼い」です。置き去られ、野獣に噛み殺されても顧みられない羊たちが呼び求める羊飼いであります。「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。」(16節)と主イエスは語られています。私たちは「まことの羊飼い」の声を聞き分ける群れであるでしょうか。