2010.10. 31

説教題「心をとめる
創世記9:9-17 / ローマの信徒への手紙5:19-21


2010.10. 24 収穫感謝礼拝

説教題「めぐみの主を 心から」
テサロニケの信徒への手紙Ⅰ5:18

1620年11月に、信教の自由を求めて120名のピューリタンと呼ばれた人々が、イギリス、オランダを経て新天地アメリカに、メイフラワー号という船でやってきました(二ヶ月の航海の末)。都会育ちであり、不慣な土地のために、その苦労は大変なもので、飢と寒さと絶望のために、半数の人たちが死んだといわれます。やがて遅い春が来たとき、冬の間に親しくなったインディアンの人たちが、トウモロコシ、エンドウ豆、小麦、大麦などの種蒔きの方法を教えてくれました。やがて秋になり、思ったよりも豊かな収穫がありました。「われら耕し種をまくけど、雪霜おくり雨をそそぎ、日にて暖め、風吹かせ、育てたもうはただ神なり、よきものみな、神より来ぬ。ゆたけき恵みほめたたえよ。」彼らは教会に集まり、感謝礼拝を献げ、また家庭にはインディアンの友人を招いて感謝祭の食事に招き、神に感謝の礼拝を献げました。1864年、リンカーン大統領は、11月第四木曜日を合衆国の祝日に定められました。神に感謝を献げましょう。

2010.10. 17 教会全体修養会

説教題「空の鳥をよく見なさい」 榎本恵 牧師
マタイによる福音書6:25-34

私たちが信仰生活を送り、そこで見出すのは何でしょうか。それは喜びと感謝、そして、愛に満たされた日々でありましょう。しかし、私たちの現実は残念ながらそうではありません。現実は、むしろ悲しみと失望、そして淡々と繰り返される昨日と同じ今日に過ぎないのではないでしょうか。「聖書に聴くとは?」「アシュラムとは?」もし、あなたが日々の信仰生活の再び新たにされる時を望むなら、来て、みてください。(榎本恵牧師)。

《榎本恵先生紹介》同志社大学神学部卒、1989年沖縄県伊江村に移住、反戦平和資料館「財団法人わびあいの里」理事、日本キリスト教団よきサマリア人伝道所担任教師、田崎病院精神科デイナイトケアー職員兼任を経て、2007年宗教法人アシュラムセンター(滋賀県近江八幡)主幹牧師就任、現在に至る。


2010. 10. 10

説教題「キリストのために」
使徒言行録15:1-2 / フィリピの信徒への手紙1:20b-21

ここには初代教会の最初の大きな会議(使徒会議)が描かれています。そこで議題になったことは、「福音と律法」です。救いに与るためには、イエス・キリストを信じる信仰の他に、もう一つ何かをプラスしなければならない。人が救われるには、イエス・キリストを信じるだけでは不十分で、善い行いしなければならない、立派にならなければならないという考えです。勿論、善い行いをすること、立派になることを否定するのではありません。しかし、いつも「善いことをしなければならない」「人から高い評価を受けなければならない」ということが、その人の存在の中心になっていると、心と霊はやせ衰え、損なわれていきます。人を見下げたり、尊大な気持ちになります。逆に、人をうらやみ、劣等感に支配されます。問題は、恵みが第一義的か、行いかです。もし行ないを第一義にするならば、区別や差別が生まれてきます。「ユダヤ人と異邦人」「立派人と駄目な人」など、あらゆる人間の違いが問題になってきます。イエスの恵みを信じることからは、真の謙遜、自由、平静が生まれてきます。「彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいません」と(15:9)。

2010. 10. 3

説教題「信仰の賜物」
ダニエル書3:13-18 / 使徒言行録5:40-42

 ネブカドネツァル王は絶対的な権力を誇り、自ら立てた金像礼拝を命令します。イスラエルの民は皆風になびく草のようにひれ伏し金像を拝みました。しかし、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの三青年は、燃え盛る炉の中に投げ込まれることがあっても、金像礼拝を拒否します。

「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくても、ご承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません」(3:17-18)。

「たとえそうでなくても」。この信仰を学びたいと思います。しるしに頼らない彼らの純粋な心に敬服します。結果的に主は、三人と共に燃え盛る炉の中を歩まれるという仕方で、救われます。たとえ、その炉を7倍も熱くしたとしても、彼らの髪の毛一筋もそこなわれなかったと言います。ダニエル書が明らかにする主なる神を信頼し、従っていきましょう。

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