2010.8.29

説教題「何に結びつくか」
コリントの信徒への手紙Ⅰ1:10-17 / マタイによる福音書18:10-20

「わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わずに、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい」(コリントⅠ10:10)。この「勧告する」は「懇願する、慰める」などの意味です。つまり、「心を一つにし、思いを一つにし、固く結びつく」は、パウロの強い念願です。裏返して読むならば、コリントの教会には「勝手なことを言い、仲たがいし、心も思いもばらばらで、固く結びついていない」という現実があったことが推察されます。コリント教会内の確執、争いはパウロを失望させ、虚しい思いにさせています。でもパウロは仕方がないと妥協したり、諦めたりしません。パウロは「わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体(教会)を形づくっており、各自は互いに部分なのです」(ローマ12:5)と、教会の本質を述べています。心を一つにし思いを一つにできる教会を形成するためには、キリストにつながっている信仰がなくてはならないと言います。讃美歌21の393の制作者ツィンツェンドルは、教会員一人一人が直接にキリストに結びつかなければならないとメッセージを送っています。何に結びついているでしょうか。

2010.8.22

説教題「希望」
列王記上3:1-15 / コリントの信徒への手紙Ⅰ15:50-58

*「あなたは自分のために長寿を求めず、冨を求めず、また敵の命を求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。わたしはまた、あなたの求めなかったもの、冨と栄光を与える」(列王記上3:10-12)。

*「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことを思い悩むな。」(マタイ6:33)。

*「わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者にされ、わたしたちは変えられます」(コリントⅠ15:51)。

ソロモンは1千頭もの焼き尽くす捧げ物を献げた。焼き尽くす捧げ物とは罪の贖いのための小羊のことです。1千頭もの小羊を献げたということは王の威勢を誇示しようとする行為です。しかし、たとい1千頭の献げても、小羊の血、律法、儀式ではわたしたちの罪が贖われることはありません。物やお金では、罪を贖うこと出来ないのです。神の子イエス・キリストの尊い犠牲でしか、罪の贖いはないという事実を確認させられます。

2010. 8.15

説教題「派遣」
ヨナ書3:1-5 / 使徒言行録9:26-31

*「主の言葉が再びヨナに臨んだ。『さあ、大いなる都ニネベへ行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ』。ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。」(ヨナ3:1-3)

ヨナほど臆病で、気の小さい者はいません。さらに、神が自分の思いとおりにならないと、神を激しく攻撃し、怒り、自分は死ぬと神を脅迫するほど、罪深いです。しかし、神は、命令に背き、反抗し、逃げ惑うヨナを、なぜ再びニネベに行けと命じるのです。神の御心は私たちにははかりかねます。なぜヨナでなければならないのでしょうか。彼以外のもっと相応しい預言者、もっと相応しい人物を、なぜ神はお選びにならないのでしょうか。神の選びの不思議さです。聖書に出てくる人々の多くは、神の選びに戸惑い、恐れます。出エジプトの指導者のモーセがそうです。「ああ主よ、どうぞ、だれか他の人を見つけてお遣わしください」と神に訴えています。エレミヤも「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから」と。神の委託や命令に応えることができない、抵抗しています。しかし、その葛藤の中で、神の言葉に聞き従い、神の祝福を受けるのでした。神の言葉を語るのは、あなたでなければならない、と神は言われます。神の必然性を認め信じて行きましょう。

2010. 8. 8

説教題「命を懸ける」
エレミヤ書20:7-9、14-18 / 使徒言行録20:17-24

*「自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身に降りかかってきた試練に遇いながらも、主にお仕えしてきました。」(使徒言行20:19)
*「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。」(使徒言行20:24)
「人の将に死なんとする其の言や善し」(論語の泰伯)と言います。死を間近に意識した人の言葉には、その人の人生そのものを凝縮されているような独特の深さや重味を感じさせるものがあります。使徒言行録20章のテキストは「パウロの遺言」として有名な箇所です。聖書にはモーセをはじめ幾つかの告別説教があります(申命記29~30章)。イエスの弟子たちへの告別説教もあります(ルカ22章、ヨハネ13~17章)。このパウロの告別説教には、イエスの、後に残す弟子たちへの思いと共通する点があります。その告別説教から、「謙遜の限りを尽くし」「数々の試練の中にあって、主に仕えた」「自分の決められた道を走りとおし」「任務を果たすことができれば、この命すら決して惜しいとは思わない」という御言葉を取り上げ、その恵みに与りたいと思います。


2010. 8. 1

説教題「主が与える和解」
創世記33:1-11 / マタイによる福音書5:38-41


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